恋する存在  <8>




 翔太とアリサは、靴をはいてベンチに腰掛けた。

「太陽、隠れちゃったな。」

 翔太は空を見て言った。気が付くと空には雲が多くなってきている。

「今日はこの後、だんだん天気が悪くなるみたいです。」

 空を眺めながらそう言ったアリサを見て、翔太は尋ねた。

「・・・アリサは天気予報もできるのか?」
「違いますよ。今日の朝、テレビで天気予報を見ました。」
「ああ、なんだ。ビックリした。」

 そう言って、二人は笑い合った。


 さっきまでは人のほとんど居なかった公園に、数人の子供達がやってきて、楽しそうに騒いでいる。どうやら何かゲームを始めるみたいで、真中でじゃんけんをして鬼を決めている。
 アリサはそれを眺めて、何か考えているようだった。

「それじゃあ、そろそろ帰ろうか?」

 翔太がそう言うと、アリサは無言で下を向いた。帰りたくないのかな、と翔太は思った。

「・・どうした?」
「あの、翔太さんに話があるんですけど。」
「・・何?」

 アリサのあらたまった態度に翔太は、まさか告白でもされるのではないかと身構えた。しかし、そうではなかった。アリサは意を決したように言った。

「翔太さん、学校に行ってみませんか?」

 またアリサから予想外のことを言われた翔太は、すぐに言葉を返すことができなかった。

「学校に行った方が翔太さんのためにいいと思います。」

 追い討ちをかけるようにそう言ったアリサは、いつものように翔太のことを真っ直ぐに見つめて、翔太の返事を待った。

「いまさら学校になんて行けないよ。・・別に俺は、学校に行かなくてもいいさ。」

 翔太の言葉に、アリサは悲しそうな顔をした。そんな顔をしないで欲しいと翔太は思った。

「前に読んだ本に書いてあったことです。『生きるとは呼吸することではない。行動することだ。』と。」

 ルソーの言葉だそうです、と言ってから、アリサは大きく息を吸うような仕草をした。そして、まるで体のうちから湧き出てくる言葉を吐き出すように、アリサは一気に話し始めた。

 アリサは翔太の目をしっかりと見て、強い口調で言った。

「私は人間じゃなくロボットです。生き物でもありません。でも、私は目的を持って行動しています。・・今はまだ、いろいろ知らないことも多いですし、いろいろ自分のことで悩んでいます。でも、いろいろ行動して自分なりの『生きる』ってことを考えています。それが、私らしく生きているってことだと思います。」

 翔太は、アリサの言葉を黙って聞くことしかできなかった。アリサは話しつづけた。

「翔太さんは、今、自分らしく生きていると思いますか?人間らしく生きているって言えますか?家からほとんど出ずに、自分の殻に閉じこもりっきりじゃないですか。」

 アリサは一気にまくし立てるようにそう言ってから、また悲しそうな顔をした。

 アリサが、こんなに強く翔太を非難するようなことを言ったのは初めてだった。人間になりたいと思っているアリサは、人間である翔太が精一杯生きていないということに対して不満を持っていたのだ。そして、そんな翔太に恋をしているから、なおさら翔太に人間らしく精一杯生きて欲しいと思っているのだろう。

「翔太さんが不登校になったのは、クラスメイトから距離を置かれたからなんですよね。」

 アリサの剣幕に押されて言葉を発することができずにいた翔太は、アリサからそう聞かれ、かろうじて声を絞り出した。

「・・・ああ。そうだよ。」

 翔太は、学校に行っていた頃のことを思い出した。小学校の頃は楽しく遊んでいた友達が、中学校に入りテストの成績が重要視されるようになるにつれて、徐々に自分から離れていくことを感じた。クラスで自分だけが浮いていることに気がつき、その居心地の悪さから逃げるように、学校へ行く回数は減っていった。

「でも、本当は翔太さんだって、クラスメイトと仲良くしたいと思っていますよね。・・だったら学校に行った方がいいです。学校に行くことを諦めないで、少しずつでも学校に行くための努力をした方がいいです。」

 公園で遊んでいる子供達は、どうやらかくれんぼをしているようだ。鬼の子のもういいかいの声が公園中に響いている。その光景に、翔太は自分が小学生だった頃の姿を見ていた。あの頃のように、みんなの輪の中に入って、みんなと仲良く遊ぶことができたなら・・。

「でも・・やっぱり今さら学校なんて・・・。」

 そうやってうじうじとして、はっきりしない翔太に、アリサは苛立ってきているようだった。アリサがそんな風に苛立つなんて、それも初めてのことだった。

「翔太さんは、逃げているだけだと思います。自分から今の状況を変えようとせずに、楽な方に楽な方にって逃げているだけです。学校のことだけじゃないです。翔太さん、ほんとは家族が居なくて寂しいでしょ。だったら、両親に一緒に暮らして欲しいって言えばいいじゃないですか。何も言わなきゃ何も変わらないし、わかってもらうこともできません。」

 アリサはそう捲くし立てた。翔太は、それをただ聞いていた。全て、アリサの言う通りだ。

「行動しなきゃ、行動しなきゃいけません。できます。翔太さんなら、もっと行動できるはずです。」


 アリサからこれほど強く言われるとは、翔太も予想していなかった。アリサが言うことは、全て自分でもわかっていることだけに、翔太は言い返す言葉が思いつかなかった。アリサがここまで自分のことをちゃんと見ているのだということも、翔太は初めて知った。

「俺のことなんてほっといてくれよ。」

 翔太はそう言って立ち上がった。翔太は頭が混乱して、本当にフリーズしてしまいそうだった。もうこれ以上何も言われたくなかった。

「放っておけません!」

 アリサも立ち上がり、翔太の横顔に向かって言った。そして次に、アリサはとうとう言ってしまった。

「私、翔太さんのことが好きなんです。だから、放っておけません。」

 言ってしまった後で、アリサははっとして口をつぐんだ。翔太は感づいていたけれども、アリサにとっては絶対に言ってはいけない恋心だった。
 翔太はアリサの顔を見ることはできず、アリサと逆の方向に首を向けて言った。

「そんなこと言われても、アリサはロボットだし・・・。」

 翔太は、背中を向けていて実際には見ていなくても、告白してしまったことを後悔するようにうつむくアリサの姿が浮かんだ。

「・・そうですよね。ごめんなさい。変なことを言って・・。」

 二人の間に沈黙が流れた。風が吹き、公園で遊んでいる子供達の声を覆い尽くすような木の葉がこすれる音があたりに満ちた

「帰ろうか。」

 翔太がそう言うと、アリサはうつむいたままで答えた。

「私、買い物してから帰ります。翔太さん先に帰っててください。」
「そうか。わかった。」

 そうして翔太はアリサと別れて家に向かった。



つづく

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