恋する存在  <7>



「こっちおいでー。エサですよー。」

 アリサが池の淵にしゃがんでカモにエサをあげようとしているが、カモはアリサを怖がって少しも近づいては来ない。

「翔太さーん。どうしてですかね。カモが全然寄ってきません。」

 アリサは少し離れたベンチに腰掛けている翔太に向かって、少し不機嫌そうに言った。

「そりゃあ怖いよなあ。」
「私ってそんなに怖いですか・・。」

 翔太は聞こえないだろうと思うような小さな声で呟いたが、アリサの耳は人間よりもずっと良いのだ。

「いや、まあカモにとったらね。ほら、アリサは動く音が少し大きいから。」

 これから悪口を言う時なんかはもっと気をつけようと、翔太は思った。

 翔太とアリサは、近所の公園に来ていた。以前から翔太の父親に、もっとアリサに外の世界を見せてやるようにと言われていたし、アリサ本人もいろいろなところに出かけたいと言っていた。その上こんなに天気が良くて温かい日とあっては、外に出ない理由は無かった。

「じっとしてたらカモも寄って来るんじゃないかな。」
「わかりました。やってみます。」

 アリサは翔太に言われたとおりにじっとして、カモが来るのを待ち構えた。そうなるとアリサは、まったく生き物とは思えないほど微動だにしなくなる。それはそれで見てるこっちは怖いものがあるが、カモはそんなアリサをただの物だと認識しているようで、気がつかずに近づいてきた。

 アリサと同じように、翔太も息を潜めてその様子を窺っていた。アリサはカモを十分に引き付け、ここぞという瞬間に手に持っていたエサを撒いた。

 しかし、アリサが動き出した瞬間にカモは驚いて飛び立ってしまった。

「あははは、残念でしたー。」

 思わず笑ってしまった翔太の方に、アリサが歩いてきた。

「もう、カモはいいです。」

 アリサは思いっきり不機嫌そうな顔をしていた。

「何だよ、アリサ怒ってるのか?」
「怒ってません。」

 怒ってるじゃないか。翔太は、今度は絶対に聞こえないように声には出さず、心の中で思った。こんな風に不機嫌になったりすることは、アリサが初めて見せる感情かもしれない。翔太は、そんなアリサの新しい一面を見ることを楽しく感じていた。

「じゃ、あっちにある遊具とかの方に行ってみようか。」

 ふてくされた様子のアリサの気分を変えるために、翔太は公園の遊具のある方を指さした。


「私、ブランコに乗るの初めてです。」

 アリサはそう言ってブランコに座り、漕ぎ始めた。アリサの両手はしっかりとブランコのチェーンを掴み、絶妙な体重移動でブランコを加速させていく。

「初めてにしては上手いな。」
「はい、頭ではブランコの動きがわかっていますから。体重移動さえ上手くできれば、素早い動きも必要ありませんし。」

 そう言ってアリサは、さらにブランコを加速させていく。もっと高く、もっと高くとブランコを漕ぐ子供のように、その顔は輝いていた。

「実際にブランコに乗ってみて、どんな気分?」
「ブランコ気持ちいいです。すごい。頭の中で想像しているだけとは全然違います。景色が速いです。」

 そう言って楽しそうに漕ぎつづけるアリサを見て、翔太も子供の頃に返ったようにワクワクしてきた。
 翔太もアリサの隣のブランコに乗って、勢いをつけて漕ぎ始めた。久しぶりに乗るブランコは、確かにアリサの言う通り景色が速く動いて楽しかった。

「よし、靴飛ばししよう。」
「靴飛ばし、ってなんですか?」
「こうやってブランコを漕いで、靴を飛ばすんだ。遠くまで飛ばせた方が勝ち。ちょうど人も居ないし、やってみよう。」

 そう言って翔太は、片方の靴をすぐに脱げる状態にしてから思いっきりブランコを漕いだ。
 そして、靴を飛ばす。
 放物線を描いて飛んでいった靴は、砂場を越えてシーソーのあたりに落ちた。

「よっしゃ、新記録だ。」
「新記録?今まではどこが記録だったんですか?」
「今までは、砂場の真中辺が最高。・・といっても、小学校の頃の話だけど。」

 翔太は靴飛ばしをしていた頃のことを思い出した。その頃は同じクラスの友達と、よくこの公園で遊んでいた。

「・・アリサも飛ばしてみなよ。」
「私もですか?・・やってもいいですけど、すごく飛びますよ?」
「すごくって、どのくらい?」

 アリサはブランコを漕ぐのをやめて、一瞬フリーズした。きっと頭の中でコンピューターが回っているのだろう。
 計算結果はすぐに出たらしく、アリサはかなり遠い辺りを眺めて言った。

「この風なら、あの花屋の少し手前まで届きます。」

 花屋は、公園を出て道路を挟んだ向こう側にあった。翔太の飛ばした位置より何倍も距離がある。

「・・そんなに?」
「はい。計算上は。」
「それは、ちょっと危ないから無理だな。」

 それほど遠くまで飛ぶ靴を見てみたい気もするけれど、さすがに危なすぎるだろう。人に当たっては大変なことだ。

「そうですよね。危ないですよね・・・。」

 そう言って少し残念そうな顔をしたアリサは、すぐに何かを思いついたようにぱっと明るい顔になった。

「あ、それじゃあ、翔太さんが飛ばした靴に当ててもいいですか?」
「俺の靴に、当てられるの?」
「はい。計算して、ピッタリ翔太さんの靴に当てます。」

 アリサはシーソーの辺りに転がっている翔太の靴を眺めた。

「・・ああ、いいよ。やってみて。」

 本当に当てられるのだろうか。翔太は、それは面白いと思ってわくわくした。

「それじゃあ、思いっきり高くまで飛ばして当てますね。」


 アリサは少し計算をしてから、助走をつけてブランコを漕ぎ始めた。ぐんぐんブランコのスピードが上がり、翔太が危ないと思うほど高くまでブランコが振れる。

「それじゃあ行きますねー。」

 そう声をかけてから、ほとんどブランコが地面と平行になるほどに上がった瞬間に、アリサは靴を飛ばした。
 アリサの靴は翔太が飛ばした軌跡よりもずっと角度の高い放物線を描いた。靴は公園に植えてあるニレの大木よりもはるか高くまで上がり、見上げている首が痛くなるほどの滞空時間の後に落ちてきた。

 アリサの飛ばした靴は、パァーンと大きな音を立てて翔太の靴の真上に落ちた。

「やりましたー。計算ピッタリです。」
「・・すごい。」

 確かに、今の勢いのまま遠くまで飛ばすことができる角度で靴を飛ばしたなら、あの花屋まで届くだろう。
 はるか高くまで上がっていった靴を見て、翔太の胸は、子供のようにドキドキしていた。

「すごい!アリサすごいよ!かっこいい!」

 そう言って翔太が誉めると、アリサは照れたようにへへっと笑った。


「・・ところで翔太さん。あの靴はどうやって取りに行ったらいいでしょう。」
「え、そんなの、片足でけんけんしながら取りに行ったらいいよ。」

 翔太がそう言ってブランコから降りると、アリサは首をかしげた。

「"けんけん"とは?」
「ああ、けんけん知らないのか。片足で、こうやってピョンピョン跳ねることだよ。」

 翔太は、実際にけんけんをやって見せた。

「それを、"けんけん"と言うんですね。初めてですけどやってみます。」

 アリサもブランコから降り、片足でけんけんをした。アリサのけんけんはゆっくりだったが、バランスを取りながら確実に一歩一歩飛び跳ねるけんけんだった。

「そんなゆっくり安定したけんけん、初めて見たよ。」
「そうですかー。でも、こうじゃないとバランス崩して転んでしまいそうです。」

 そう言って靴をばした場所まで、二人はピョンピョンと飛び跳ねた。こうやってけんけんするのも小学校の頃以来だなと、翔太は思った。


つづく

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