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1.悲しみ
周りをきょろきょろと見回しながら備え付けの灰皿の前でタバコを吸っている男性に、手を振りながら小走りに女性が近づいてくる。2人は手をつなぎ楽しそうに話をしながら歩いていった――。 ベンチで本を読んでいた女性は、友達らしき女の子に声をかけられて顔をあげた。本に集中していたために、少し前からそこに友達が立っていたことに気が付かなかったようだ。彼女は照れたように笑いながら立ち上がった――。 時計を見てはイライラしたように足を揺すっている男性。待っている相手が来たら怒鳴りだしそうな表情さえしている。彼は来てからまだ5分くらいなのに・・きっと、少しの時間でも自分が待たされるのは嫌なのだろう。ああいう人に限って平気で人を待たせたりするのだ――。 さっきから談笑していた数人の男の子たちのグループに一人の男の子が駆け寄っていき、手を合わせて謝っている。寝坊でもして遅れたのだろう、急いできた様子が伝わってくる。彼も談笑の輪の中に混じり、そして男の子たちは歩き出した――。 駅前の、大きな時計がある広場。 毎日たくさんの人が待ち合わせの場所としてこの広場を利用している。私もそんな人々と同じように、大時計の下のベンチに腰掛けて彼を待っている。 しかし、私と、他の待ち合わせの人々との間には決定的な違いがあった。待ち合わせをしている人々は、いつか目的地に向かって歩き出す。しかし、もう私が歩き出すことは無いのだ。 私は、ここで、もう来ない彼をいつまでも待ちつづけている……。 ……その日は、雨が降っていた。 私は広場の大時計の前で傘を差し、彼を待っていた。時計を確認すると、約束の時間の午後3時は、もう30分も過ぎていた。 私は、人を待つことには慣れていた。雨が降っていたりすれば、予定通りにいかないこともある。待つことを苦には思わなかった。普段は多くの待ち合わせの人がいるその広場も、今日は人影がまばらだった。私はその中に彼の姿が無いことを確認しながら、いろいろなことに思いをはせていた。 その時、私の携帯電話が鳴った。最初は彼からの電話かと思ったが、ディスプレイの表示は知らない電話番号だった。私は一瞬訝しげに思いながら、通話ボタンを押した。 「もしもし」 「○○病院の者ですが、山下加奈子さんですか?」 電話口の相手は、この辺りで一番大きな病院の名前を告げ、そして私の名前を確認した。その瞬間、私の中にはなんとも言えない不安が膨れ上がった。彼の身に何かが起こったということを、私は直感的に感じ取ったのだ。 「はい。山下ですが、どうしましたか?」 心の緊張とは裏腹に、私は冷静に受け答えをしていた。警鐘を鳴らすように徐々に高ぶりはじめた感情が、未だ脳までは届いていないようだった。感情と切り離されたところで、ただ機械的に言葉を発しているかのような口が、自分のものではない気がした。冷静に聞いてください、と前置きして話し始めた電話口の人間の方が慌てている感じさえした。 私の直感は、見事に当たっていた。私はすぐさま病院へと向かった。 彼は、待ち合わせ場所に向かう途中で交通事故に遭い病院に運ばれたのだ。私が病院に着いた時、彼は集中治療室で処置を受けているところだった。 病院の事務の人が私に応対し、彼の容態や事故の状況などを説明してくれた。 彼は、自宅から駅に向かう途中で車に轢かれた。事故の直後はかろうじて意識があったが、病院に着いたときにはもう意識不明の状態だったらしい。 救急車の中で彼は、朦朧としながらも私の名前を呼びつづけていたらしい。人を待たせているんだ。加奈子に連絡をしなくては――と。救急隊員が必ず連絡しますと言うと、彼はこくりとうなずき、意識を失った。その話を救急隊員から聞いた事務の人が、彼の携帯電話を調べて私に連絡してくれたということだった。 私は祈るような気持ちで病院の廊下で待っていた。どれくらいの時間待っていたかわからないが、私には気の遠くなるような長い時間だった。 集中治療室から医者らしき人が出てきた時には、もう日が暮れていたと思う。その時には廊下には私だけでなく、彼の家族も来ていた。 医者は私たちに対し、ゆっくりと首を振った。最善は尽くしましたが……と。 それ以来、待ち合わせをしていた日曜日の午後には、私は必ずこの広場に来ている。もうこない彼をいつまでも待ちつづけるために……。 次へ |