恋する存在 <1> 翔太は、ほとんどいつも自分の部屋にいる。部屋で一人、本を読んだりゲームをしたりして過ごしている。 今ごろ中学校の3年F組では、翔太のクラスメイト達が数学の勉強をしている時間だ。翔太はそんなことを考えながら、自分の部屋で数学の勉強をしていた。いや、実際にクラスメイト達が今受けている授業は、数学じゃなくて英語かも社会かもしれない。しかし去年の定期試験以来中学校に行っていない翔太には、今の時間割はわからなかった。この時間が数学なのは、去年の時間割だ。 翔太が不登校になり、定期試験の時だけ学校に行くという状態になってから、もう1年以上も経っていた。 とんとん、と部屋をノックする音がした。 「翔太さん、入ってもいいですか?」 「どうぞ。」 机に向かっていた翔太は、返事をしてドアの方を振り返った。ドアが少しだけ開き、アリサの綺麗な顔が現れる。 「今、忙しかったですか?」 「いや、大丈夫だよ。」 「じゃ、ちょっとだけお邪魔してもいいですか。」 「どーぞ。」 翔太がそう言うと、ドアを完全に開けてアリサが入ってきた。手にはティーセットを載せたお盆を持っている。 「お茶入れたんで、飲んで下さい。」 「ああ、ありがとう。」 翔太は、部屋に入ってくるアリサの動きをドキドキしながら眺めていた。 しかし、彼女のことを女性として意識しているためにドキドキしているのではない。アリサの動きにドキドキしているのだ。アリサが一歩一歩動くたびに、手に持ったお盆の上でティーカップがガチャガチャ音をたてた。いつ見ても、何度見ても、彼女の動きはぎこちなくて危なっかしい。 といっても、彼女が転んだり何か物を落としたりしたところは見たことが無い。翔太も、絶対に彼女がそんな失敗をしないということを、頭ではわかっている。 ゆっくりと、しかし完全に計算された動きでバランスを保ち、足元のちょっとした凹凸もセンサーが完全に感知する。物を掴む時もその物の形を完全に把握し、安全な部分を安全な握力で掴めるようになっている。 アリサはそうプログラミングされて作られている、最新型のロボットなのだ。 アリサは翔太に見守られながら、無事に部屋の真中にあるテーブルにお盆を置いた。そして、ティーポットに入れてあるお茶を、ティーカップに注ぐ。その動作は歩いてきた時よりは、人間に近い滑らかな動きである。 「はい、どうぞ。」 「ありがとう。」 翔太は差し出されたお茶を受け取り、口をつけた。アリサのブレンドした紅茶は翔太の好きな味だ。それを飲むと翔太は、体中に安心感が広がっていくような気がする。 「翔太さん、何してたんですか?」 「ああ、勉強してた。もうすぐ定期試験だから。」 翔太の机の上を眺めながら聞いたアリサに、翔太は机の上に広げていた数学の参考書を見せた。 「すいません。勉強の邪魔しちゃいましたね。」 そう言って部屋を出て行こうとするアリサを、翔太は引き止めた。 「いや、いいさ。ちょうど休憩しようと思ってたところだから。」 翔太がそう言うと、アリサは安心した表情を浮かべた。いや、アリサがそこまで細かく表情を変化させることができるのかはわからない。翔太がそう思ったから、そう見えるだけかもしれない。 「定期試験ですか・・。翔太さんは成績が抜群にいいんですよね。すごいなあ。」 「そんないいことばっかりじゃないよ。・・・そのせいでクラスメイトからは嫌われてる。」 「・・だから学校には行かないんですか?」 翔太の自嘲気味な言葉に、アリサはそんな疑問を返してきた。 「ああ、そうだな。行かなくても困ること無いし。」 翔太はテーブルの上に置いてあるティーポットからあがっている湯気を眺めた。不登校の理由はそれほど単純なことではないけれど、まあ、それが大きな原因であることは間違いない。 「・・そうですか。」 そう言ってからアリサは、一点を見つめたまま動かなくなった。部屋の中に沈黙が訪れる。 まさかフリーズしているのではないかと翔太が思うほどの時間、アリサは止まったままだった。しかし、翔太がそれを確認するために声をかけようとした瞬間、またアリサは動きだした。 表情はやや乏しいが、ぱっと見ただけでは普通のきれいな女性と見分けがつかない顔。その顔で翔太を正面から見つめて、アリサは問い掛けた。 「学校に行かなければ、困ると思います。」 たっぷりと間を置かれて予想外のことを言われた翔太は、一瞬答えに詰まってしまった。アリサはそんな翔太から視線をはずさず、答えを待った。 「・・・それは、学校に行かなくても、俺は一人で勉強できるし。」 「けれど、学校は勉強をするための場ではなく、社会性を養ったり、楽しい思い出を作ったり、友人を作ったりする場でもあります。」 アリサの当然と思える指摘に、翔太はどう言って返せば良いのかわからなくなった。今度は翔太の方がフリーズしたようになってしまった。 つづく 次へ |